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うどんについて

うどんの由来
 「うどん」は奈良時代のころ、中国から仏教とともに伝えられたといわれています。中国では穀物の粉を練(ね)って加工したものを「餅(ピン)」と表現しました。スープに浮かべて食べた「餅」の一部が、「麺(ミェン)」となって広まっていきました。日本へ伝わったころの麺(めん)は、練った生地を手で縄(なわ)をなうようにして細くし、さらに指で引き延ばして作りました。「索餅(さくへい)」とか「麦縄(むぎなわ)」と呼ばれていました。その後、鎌倉時代のころには切り麺式の「切り麦」ができていたようで、現代の「ひやむぎ」や「うどん」の原型となりました。小麦粉を使った太い麺を「うどん」と呼ぶようになったのは、室町時代から江戸時代にかけてのことと考えられています。
小麦の製粉(せいふん)
 「麺」を食べる文化の歴史を知るためには、小麦を粉にする技術の移り変わりを知る必要があります。現代では、表面に刃を刻(きざ)んだ2つの筒を並べて回転させ、その間に原料を入れ大量に生産する、ロール製粉が主流となっています。人類が最初に手掛けたのが、すり石とすり皿を使った方法です。その後、杵(きね)と臼(うす)が発明されましたが、これらの方法では、細かく均一(きんいつ)な粉を作ることができませんでした。次に開発されたのが「ひき臼」です。回転する上下の臼で挽(ひ)く方法で、現代の方法のように大量生産はできませんが、出来上がった粉の品質(ひんしつ)がロール製粉とは異なるため、今でも改良が加えられて使われています。
うどんの種類
 細かく均一な粉が生産されるようになったことで、「麺」も様々な作り方が工夫されるようになりました。世界にはさまざまな「麺」の作り方がありますが、愛知県下では2種類の方法が使われています。
 練った生地(きじ)を薄(うす)くして包丁(ほうちょう)で切る切り麺式の「手打ち」と、生地をひっぱって引き伸ばす「手延べ(てのべ)」という手法です。「手延べ」の技術も室町時代にはできあがっていたようですが、粉の質がよくなかったので、現代のものより太いものしか作れなかったと思われます。この点に関しては「手打ち」も同様であったと考えられます。
 ところで、みなさんは「ひやむぎ」と「そうめん」のちがい、おわかりでしょうか。
 「麺」にはいろいろな形や太さにちがいのあるものがあります。これらは規格(きかく)により「麺」の太さによって分けられていて、太い順に「うどん」、「ひやむぎ」、「そうめん」に分類(ぶんるい)されています。「麺」の作り方や断面(だんめん)の形についての定めはありません。しかし、「ひやむぎ」は「手打ち」、「そうめん」は「手延べ」で作られるのが本当ですので、「ひやむぎ」ならば「麺」の断面は四角形、「そうめん」ならば「麺」の断面は丸く-(角がない)-なるのが正しい姿(すがた)です。「ひやむぎ」は極細(ごくほそ)打ちうどん、「そうめん」はラーメンの親戚(しんせき)といったところでしょうか。
小麦粉の品質
 「うどん」の材料は、小麦粉と塩水です。小麦粉には強力粉(きょうりきこ)、薄力粉(はくりきこ)など品質に違いがあることをご存知かと思います。「うどん」には中力粉(ちゅうりきこ)がよく使われます。
 小麦の品質は、栽培(さいばい)した土地の気候に大きな影響(えいきょう)を受けるという性質を持っています。「うどん」の作り方ができあがる過程(かてい)では、昔のことですので、材料の輸送(ゆそう)も現代のように簡単にできたわけではありません。当然地元でとれたものを地元で消費するということが行われてきました。全国各地にそれぞれの地方の「うどん」がありますが、それぞれの地方の材料にあった作り方がそれぞれの地方で編(あ)み出されていったと考えるのが正しいと思います。
小麦粉と水と塩の関係
 「うどん」を作るとき、適当(てきとう)な量の塩を使うと、生地の粘(ねば)りを増し、保存(ほぞん)をよくしたり、乾燥(かんそう)を防ぐなどの効果(こうか)があります。塩水は、生地を作るときに大きな影響を及(およ)ぼしますので、小麦粉の品質に対して塩水の濃さが適当であるかどうかが、とても大切になります。また、塩を入れずに水だけで作った「うどん」より早くゆで上がり、ゆであがった「うどん」はふっくらとした弾力のあるものになります。生地の中の塩は、ゆでることでほとんどゆで水に移ってしまい、「うどん」にはわずかに残るだけです。このわずかに残った塩が「うどん」の味を良くする効果があります。
 愛知県下の一部地域には、「うどん」を作るときに使う塩水の濃さを表す「土三寒六常五」(どさんかんろくじょうご)という言い伝えがあります。これは、夏は塩1杯に水3杯、冬は・・・というような意味です。江戸時代初期の書物にも、この言い伝えと近い内容のことが書かれています。現代では塩水の濃さを決めるのに、計測器(けいそくき)を使用して科学的に行っていますが、季節によって言い伝えのように少しずつ塩水の濃さを調整するのは、昔と変わりはありません。大きな工場では、建物全体を一定の温度と湿度になるようにして、年間を通じて一定の濃さの塩水で「うどん」を作ることもあります。

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そばについて

日本におけるソバ栽培の歴史
 日本で「ソバ」が栽培(さいばい)されるようになったのは、今から1600年くらい前とされています。奈良時代には、飢饉(ききん)で他の作物が育たないときの食料として栽培がすすめられました。その理由として、「イネ」は収穫(しゅうかく)まで約120日かかりますが、「ソバ」は75日くらいで収穫することがあげられます。このように収穫までの期間が短いことに加え、「ソバ」は乾燥を好む植物であったこと、種を長く保存しておいても発芽しやすいことなどの良い点がたくさんありました。
愛知県のソバの生産状況
 昔から愛知県は、米や小麦だけでなく、豆もたくさん栽培され、農産物が豊富にとれる地域でした。また、海にも近く海産物も豊富で、食に関して大変豊かな地域であったことがうかがえます。今でも愛知県の農業生産高は、全国でもトップレベルにありますが、「ソバ」の栽培面積は45ha(ヘクタール)で、全国で39番目(平成24年度調査、日本蕎麦(そば)協会)です。食糧難(しょくりょうなん)から逃(のが)れるための「ソバ」に頼る必要のない地域だったことが、生産に影響しているのかもしれません。
そばの栄養学
 「ソバは野菜です。」と言ったらみなさんは驚(おどろ)かれるでしょうか。穀物(こくもつ)と言われている植物の多くは、植物分類学上イネ科やマメ科に属(ぞく)するものがほとんどです。しかし、ソバは、中国西南部を原産とするタデ科の一年草。したがって、栄養の面でも他の穀物とは違(ちが)った特徴(とくちょう)を持っています。
 ソバに含まれるタンパク質の量は、他の穀物とあまり変わりはありません。しかし、ソバのタンパク質には、穀物では少ないリジンというアミノ酸がたくさん含まれています。リジンには血圧を下げる作用があります。
 食物繊維(しょくもつせんい)は、脂肪(しぼう)の吸収を妨(さまた)げる作用があります。こちらは、白米の2.5倍。野菜や海藻(かいそう)にも食物繊維が含まれますが、たくさん食べることがむずかしいものです。その点、「そば」のようなご飯の代わりになる食品なら、簡単(かんたん)に食べることができます。
 現代でも栄養のバランスを崩(くず)して、「脚気(かっけ)」という病気になる人がいます。ソバは、脚気の予防(よぼう)、治療(ちりょう)に効果のあるビタミンB1をはじめとするB群ビタミンが豊富です。
 ミネラルでは、穀物の中できわだって、カリウム、マグネシウム、リン、鉄が多いのが特徴です。カリウムは体から塩分を出すために必要な栄養素で、水に溶けやすく「そば湯」にも多く含まれています。江戸時代にはすでに、そば湯を飲むことが健康を保つのに役立つという記録も残されています。
 ソバには、他の作物ではあまり見られない特殊(とくしゅ)な成分「ルチン」というものが含(ふく)まれています。血圧を下げる効果があるとされるポリフェノールの仲間です。
 どれも生活習慣病の予防に効果がある良いことばかりですが、最後に大切なこともお知らせしなければなりません。それは、ソバが食物アレルギーの表示が必要な食品のひとつだということです。過去には死亡事故もありました。そばアレルギーのある方は、注意が必要です。
そばの今昔~おそばができるまで
 今私たちが食べている「そば」は、正しくは「そば切り」といいます。こうした食べ方をされるようになったのは、江戸時代になってからのことです。それ以前は「ソバ」の実をそのまま使って粥(かゆ)や雑炊(ぞうすい)にしたり、粉(こな)にしたものを湯で練(ね)って「そばがき」というものにして食べていました。
 今でいうところのそば屋のように専門店ができる前は、お菓子(かし)屋さんがお菓子作りのかたわら、片手間に作っていました。そば粉100%で作られたものをゆでた後、せいろに入れて蒸(む)して食べていました。ざるそばがせいろに盛(も)られているのはこの名残(なごり)だといわれています。
 「そば」が急速に広まったのは、江戸時代になってから江戸を中心とした地域です。それまでの蒸しそばより「そば」につなぎが使われることで、つるつると食べられるようになったことが江戸っ子にうけたとされています。つなぎについては、江戸時代初期に朝鮮から来た僧が伝えたのではないかとされていましたが、確かではなく、最近の説では、江戸地域の食糧難を解決するために、小麦粉にそば粉を混ぜたのが始まりではないかとするものもあります。

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